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[子育て]

息子が山村留学したはなし⑧

息子が山村留学したはなし⑧

長かったようであっという間の夏休みが終わり、東京駅でバイバイと手を振って、息子はまた留学先へと戻って行きました。

物が増え、部屋が散らかり、まったくドタバタと過ごした日常もいったんバイバイ。また静かな生活のはじまりです。まだまだ夏は続いているものの気付けば秋の虫が鳴いている。

野山がすぐそこに広がる息子のところは、こことは比べものにならないくらいの大音量の虫の声が響いているんだろうな。そして空気も少しずつ透明になってきてるに違いない。

田舎が好きで、都会は嫌だ、田舎に住んでみたいと言って行った山村留学だけど、初めての帰省で戻ってきた都会はこれまでとはまた違って見えたようです。田舎に住んでみて、都会に戻り、両方の良さを再確認したあとにまた訪れる田舎は、どんなふうに見えているだろう。

大きな自然の中での季節の移ろいを、好奇心旺盛に、五感と言わず、六感でもって存分に味わってほしいな。

母はというと、寂しさに気付いていなかった1学期から、楽しかった夏休みを経て次に迎えた2学期は少ししんみり。秋の虫の声を聴きながら思います。
束の間と思って全力で母親に戻ろうとした1ヵ月半だったから、燃え尽き気味なのかもしれない。

戻ろうとした、というのはその響きのとおりで、夏休みの途中で気づいたのは、やっぱり母というのはボタンを押して急にモードを替えられるわけではない。継続することで毎日少しずつ、一生懸命それになっていたのだということ。私も、世の中のどんな母もそうだよなって。

大人だけの暮らしに赤ちゃんが加わり、成長するごとに初めてのことだらけの日々の中、迷ったり悩んだり、不安に思ったりを、一緒に喜んだり笑ったりして吹き飛ばしながら、その生活に慣れ、だんだんとリズムを掴みやってきたんだなって。

水泳とかマラソンとか、縄跳びやリフティングと同じで、繰り返すことで身につけてきたのか。って、今さらだけど思いました。

ほかでもない、3か月半母をお休みしていた私はすっかりそれが下手っぴぃになってしまい、いろいろなことが思っていたようにうまくやれなかった。

なんでもっとうまくやれないんだろう。

息子がもっと小さかったとき、仕事を中途半端にしたまま自転車で保育園まで駆け抜けながらいつもそんなことを思ってたなって、そのときの感情がじんわりーと切なくよみがえりました。すっかり忘れてた。


今そんなふうに「なんでもっとうまくやれないんだろう」って思っているお母さんがいたら、そういうもんだよって。毎日少しずつお母さんになってくるんだよって、言ってあげたいけど、そのお母さんは今の私であり、言ってあげたい私は少し前の私で、なんだかちょっとうまく整理できない。

わかってはいても、受け止めきれない気持ちもあるよね。
もっとうまくやりたかったな。


それでも。

息子のいた夏は楽しかった。
この先一緒に出歩いたり旅したりしなくなってくることを思うと、今ここでその時間をギュッと味わえたのは普段離れている留学生活があってこそなのかな、とも思う。

限りがある、ということを意識して出来た夏休みの思い出濃縮タイプ。次の冬休みまで、私はそれを少しずつ還元しながら味わうのだ。