jokogumo note

[日々のつれづれ]

台風のあとに

台風のあとに

久しぶりに何でもない日にblogを更新しています。

台風、すごかったですね。東京に来てあんなに強い台風を見たのは初めてで、猛烈な風の音に夜中に目が覚めてしまい、猫みたいに窓の側でじっと外を眺めて過ごしました。

吹かれる雨のせいで風の流れがよく見える。人が通る道と同じように建物の間を抜け、別の道から来た風とぶつかり、ものすごい勢いで樹々を揺らす。これでもかこれでもかと風に吹かれながら木はそれに耐え、その葉も必死で幹にしがみついているように見えました。

翌日、自転車であたりを走ってみるとそこらじゅうに木の葉や枝が散乱していました。かろうじて木の上に残ったものも、あちらこちらを向いてボサボサとしている。全力を使い果たし放心しているかのようで、「おつかれさま。大変だったね。」と声を掛けたくなりました。

そしてふと、私は鉄筋コンクリートのマンションの1室から台風の様子を見ていたわけだけど、例えば縄文時代とか、そこまで遡らないにしても木と藁で出来たような家に住んでいたら、人だってもっと木に近い立場で台風を(自然の力)をダイレクトに感じるわけで、もちろんそれは台風だけでなく、暑さ寒さや日照など、あらゆる天候や気候をその他の生き物と同じように感じ、きっとそこには「同じくここに生きるもの」としての共感が当然としてあったのだろうと思ったのでした。

自然の猛威に力尽きてしまったものへは弔いの気持ちも持っただろうし、反対に長年生命を繋いできたものへの畏れは自然と湧き出るものだったんだろうなぁと。

自然と共に過ごすというのが日常でなくイベント的になってしまった私たちの多くにとって、もはやそれは湧き出るものではないのだけれど、それぞれが耐えたり乗り越えたりした時間やものごとを想像し、またそういうものを暮らしの中で使っているのだということは折に触れてしっかりと思い出したり、改めて感じたりしたいなぁと思った、台風のあとのつれづれ。