jokogumo note

[コロナ禍のつれづれ]

コロナとコミュニティと、暮らしの選択。

コロナとコミュニティと、暮らしの選択。

新型コロナウィルスで騒がれるようになって1ヶ月以上が経ちましたね。なんだか大変なことになりそうだというのは早い段階で予測できたけど、現状とそれがいつまで続くのかというのは見えてこず。いつまで続くのか、はそうそうわかることではないにしても、現状についてはやはり出来る限り具体的な数値と、それをもとにした専門家の見解を正しく知りたいものです。「わからない」って、やっぱり不安を呼ぶものだから。

ただ、これだけ世界中が引っ掻き回されて、経済が、オリンピックが、政治が、医療が、と叫ばれても、自分たちが日々暮らす中で出来ることといえば、結局はこまめな手洗いと心遣いなのかなと思います。手洗いはまだしも、心遣いって気持ちの問題やん。ささやかすぎやろ、などと一瞬思うわけですが、困っている人はいないか。そういう目線で物事を見ていると出来ることや気付くこと、それで誰かの力になれることがあるのは事実だし、結局それをする人の「ささやか」が集まって問題は解決されるのだと思う。

今はあまりにあちこちに問題があって、いったい何に心を寄せればいいんだろうと途方に暮れてしまいますが、まずは身近なところから。たまに行くあの居酒屋さんは大丈夫かな。いつもの八百屋さんはどうだろう?お隣の子供は?そうやって、助けられた人が誰かを助けられるようになって、小さくともよい循環があちこちで生まれ、世の中の不安が少しでも減るといいのになと、コンパクトコミュニティの力を信じている私なんかは思います。

それから、今回のように全国で同時多発的に問題がおこったとき(感染者が出たとか、一斉休校の要請があったとか)それぞれの首長がどういうふうに物事に向き合い、検討をし、決定をしていくのか。置かれた状況と環境は異なるにせよ、それが比較できる形で見られるのはとても分かりやすく興味深いものです。スピード感を持って決断するところもあれば、判断や決断ができないでいるところ、流れに従いつつ様子を見るところ、などなど。誰がなっても同じじゃない、自分たちが選んだ人が自分たちの街の道筋を決め、率いるのだという、この実感は絶対忘れてはいけないと思う。自治体にせよ国にせよ、結局今起こっていることは自分たちの選択の結果に過ぎない。何かを切り離すことなんかできないわけだから。よりよい暮らしを、ちゃんと選択していきたいです。

こんな毎日ですが、jokogumoは元気です。お店もひとつのコミュニティ。手洗い、消毒、換気、ささやかな心遣いと共に、いつも通りに。来週には東日本大震災から9年。コンパクトなつながりの大切さ、心強さに気付かせてくれたのはまさにこのときでしたね。
今週もお越しくださいましたみなさま、ありがとうございました。