息子が山村留学したはなし⑩
ついに二桁!息子が山村留学したはなし。
2学期の終了まであと2週間ほどです。
大人、というか(自分のように)50年近く生きている大人にとってはやっぱり1年ってあっという間で、今年度もあと3か月程度なのか!と驚くのだけど、11歳の息子はどんな捉え方なんだろう。
やっとここまで来た...っていう感じなのか、短いながらもこれまでの人生の中での非日常と言える日々はあっという間なのかもしれないし。これはまた冬休みに聞いてみたいところ。
2学期に入って、息子からは1か月くらいの間に立て続けに手紙が届きました(交信受段は手紙しかない)。
ひとつは近況報告だったけど、もうひとつは自分の名前について。
習字の授業で自分の名前を筆で書いていたときの気持ちを書き留めてくれたものでした。名前の由来を思い出し、じわじわとその良さを感じたのだという。
子どもの名前は、2週間以内に役所へ届け出ることになっています。
すぐに名前が決まった人もいるだろうし、ギリギリ提出したという人もいると思う。なんなら届け出た人がちょっと間違えて、思ってた名前じゃなくなったっていう人もいますよね。
ちなみにうちは、お腹の中にいるときから性別が分かっていたので名前はほぼ絞ってあり、あとは顔を見てその中から選ぶだけ。と余裕がありました。
でも、生まれてみると、正直どれに決めてもよい。メインとなる漢字は同じだったから、あとは響きの問題だったんだけど。
どうするかな~と、慌てずにいたのですが、面白いもので1週間が過ぎ、10日も過ぎると、今この目の前にいる人の呼び名がない。というのにものすごい違和感を感じるようになるんです。
毎日触れ合っているのに、会っているのに、名を呼べない!そもそも名がない!
そんな経験がありますか。私は初めてでした。名のない人と過ごすって思っている以上に変。いや、普通そんなの思ったことすらないですが、日ごとに増す違和感がすごかった。
それで、ようやく「もう決めよう!今すぐにでも!」と、夫婦で話し合ってみたものの...
やっぱり「どれもよい」という結論しかない。
どれも同じように良い。って、決断を遠ざけるのですよね。昔雑貨屋でバイトをしていたとき、いかにも売れなさそうなものがあり「こんなの売れるんですか?」って聞くと「いいんだよ、捨て番だから」って言われたことを思い出します。絶対的にこれがいい!と決断するには、「これじゃないな」っていう存在が意外と大きな役割を果たしていたりします。
そんなことを思い出しても、さすがに人の名前に捨て番はない。困った我らは、じゃあさ、本人に聞いてみよう。と、寝ている名もなき赤ちゃんに呼びかけてみたんですよ。これ、迷っている人がいたらお勧めします。
順番に、候補となっているABCの名を呼んでみる。名もなき赤ちゃんに向かって。
すると、AとBの名を呼んだときには寝ているのに、Cの名を呼んだときにだけ目を開ける。
「おぉ~!」
面白い偶然だと思って笑っていたけど、その後2、3回繰り返してみても反応が同じではないですか。
ABのときは目を閉じているのに、Cのときは必ず目を開ける。
え?
ええ?
これってもう決まりですよね。
それで息子の名前は決まった、というか、本人が決めた名前なのです。
このことは息子にも話していたのだけど、自分で丁寧に筆を運んでいるときにメインとなる字の成り立ちと、自ら選んだというそのエピソード思い出し、沸き起こった気持ちを手紙にしたためてくれたみたい。これこそが自分の名前なんだ!って、実感したのだそう。勢いのある手紙で、とても嬉しかった。
ここにいない相手のことを考える・そのことを想像する。という時間が与えてくれたものなのかな、とも思うし、習字、もとい、書道というものに素直に向き合ったということなのかな、とも思います。この、素直に感じ取る。というのは、この人の本当にいいところ。
10年後も、20年後もこの手紙を読み返すよ。
ちなみにその後の手紙は届きません。
いいんだよ、元気で過ごしているのなら...