jokogumo note

[コロナ禍のつれづれ]

「疲れ」の波

「疲れ」の波

5月も半分くらいが過ぎてしまいました。何だかこのところ急に疲れてきてしまい、自分はどうしたいのだろうと考えます。店が、という話ではなくて、もっと根本的な部分で。

テレワークの人、もともと自宅で過ごしているけど全くお出掛けできないでいる人、仕事が休みになってしまっている人、反対に忙しくなっている人。いろんな立場の人がいると思うけど、みんなそれぞれに疲れてきてるんじゃないかな。いつもと違うことがはじまって、最初は「違うこと開始!」って感じでちょっとバタバタとしたり、落ち着かなかったり、順応するのに気合が入っていたんだけど、それに少し慣れてきたところで気付けば疲れちゃってた、みたいな感じで。私だけなんだろうか。

今日は少し時間を掛けて店の空間を整えました。
箒で隅々まで履き、最近花をつけ始めたドクダミを摘んで小瓶に差し、歌こころカレンダーの言葉をしみじみと噛みしめ、いろいろな素材の道具を並べなおしました。

我(?)ながら気持ちのよい店です。何せ並んでいるものが全部いい。おおらかなもの、繊細なもの、ほっとするような素朴なもの、気持ちが清々しくなるようなもの。どれを手に取っても、その向こうにその素材の育った風景や人が手を掛ける姿が見える。それを使うことで、これまで気付かなかったものに気付いたり、何かに向き合う気持ちが変わったり。

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それなのに。こんなに気持ちのいいものが並んでいるのにどうしてモヤモヤとするんだろう。と、実はここまで書いてそこから進められず、5日経って今また続きを始めています。

その間、お店のことは少しスローダウンし、TVも消して少し情報を減らしました。
実家から届いたたくさんの豆を鞘から出し、茹でで、オイル漬けの瓶詰めを作りました。いちご大福を作って食べ、お散歩をして、たくさんの花が付いたブルーベリーの鉢植えを買ってきました。

私は何に疲れているのだろう。と思っていたけど、知らず知らずのうちに「不確かなもの」に対する不安が増していたのかも。5日経ってそう思いました。前回のblogでは【「確かなもの」を信じながら今出来ることをして暮らす】ことの大切さにハッとして、このシンプルな基本があればきっと大丈夫なのだ。と力を込めたのに、そのうちにまた情報を得ることに囚われ、暮らしが疎かになると途端にそれは揺るがされていくんだな。

こんなときに不要不急の法改正を進めようとする政府にも苛立ちつつ、大きな波、小さな波が立っては引いていく中で心のバランスをとることの難しさを感じた2週間。そのことに気付けたから、また少し進めるかな。
力を抜いていこう。